剣道競技における技動作知識の獲得過程
奥村 基生(おくむら もとき)
筑波大学大学院人間総合科学研究科準研究員
筑波大学体育専門学群、同大学院博士課程体育科学研究科を平成17年に修了。
体育科学博士。日本武道学会、日本体育学会などの会員。
研究分野:スポーツ心理学、特に知覚—運動学習。
■はじめに
このような研究者紹介の機会を与えて下さった学会関係の先生方に感謝します。ここでは博士論文の概要を紹介します。
『剣道競技における技動作知識の獲得過程』
本論文では、大学の剣道競技(以下、「剣道」と略す)を対象にして、どのような動作を遂行するのかを決定する反応選択の熟練過程を検討した。剣道のように開放技能や高次戦術の獲得や発揮が重要となる競技において、認知技能である反応選択の熟練について検討することは、競技者と指導者に実践的な示唆を与える上で意義がある。
■第1章
まず、剣道の競技特性、人間の認知機構、スポーツにおける知識についての説明をした。反応選択の関連研究の概観では、競技領域特有の知識が反応選択の情報資源となるだけではなく、その獲得や活用が処理様相や効率に影響を及ぼす重要な熟練要素であると結論づけていることを示した。そこで、本論文では、選手の認知的熟練を強く反映する「技」の既有知識(以下、「技知識」と略す)を取り上げて、反応選択における熟練差を検討することを目的とした。
■第2章
技知識の数量と構造についての熟練差を検討した。非熟練(競技経験約10年)・準熟練(約15年)・熟練(約15年)群の各5名を対象に、練習や試合の反応選択において意識的に活用する技知識についての質問紙・実験室調査を実施した。結果では、全群が競技特性や作動記憶の許容量制限に適合するように、個々の技知識を手短な手順(3—4段階程度)で構成していた。また、熟練に伴い、戦術的な意味を持つ動作‐反応の関係性の知識を獲得して、技の構成要素としていた(非熟練群:約59 %、準熟練群:約70 %、熟練群:約84 %)。そして、この知識の獲得は、技知識の数量的増加にも寄与していた(面のしかけ技の平均は、非熟練群:5.8件、準熟練群:8.0件、熟練群:12.6件)。加えて、最終的な打突動作に至るまでに、この知識を組み合わせることによって、精緻化された技知識の構造を構築していることが樹系図の記述によって明確になった。実践環境では、この技知識を活用することによって環境情報や予測に基づく反応選択をもたらすと考えられた。
■第3章
設定課題に対する反応選択の熟練差を検討した。大学生の準熟練(競技経験約13年)・熟練(約14年)群の各8名を対象として、獲得している技知識を抽出し、その知識によって解決可能な課題を設定した。そして、課題に対する運動技能確認と反応選択の2実験を実施した。結果は、運動技能確認実験では相違はなかったが、熟練群は反応選択実験において技知識の活用頻度が高く(準熟練群:約50 %、熟練群:約75 %)、時間効率が良く(準熟練群:約10.2 s、熟練群:約6.7 s)、技能発揮の得点が優れていた(準熟練群:約19.6点、熟練群:約29.5点)。技知識の活用頻度における熟練差は、熟練群が獲得している技知識を意識的に繁用して予測による反応選択を多用することを示していた。また、技知識の繁用は、それ自体が反復学習効果をもたらし、適切な知識検索のための処理機能の効率を向上させる。そして、運動技能確認と反応選択実験の時間効率と技能発揮得点における差異傾向は、熟練群が反応選択実験で実行された対戦相手の攻撃のような環境干渉に対する処理の耐性が頑健であることを示していた。このような熟練差は、練習や試合といった実践環境においても観察されることが期待された。
■第4章
実践環境における反応選択の熟練差を観察した。準熟練(競技経験約12年)・熟練(約13年)群の各9名を対象にして、群内の試合実験を実施した。結果では、反応選択における技知識の活用頻度(準熟練群:約45 %、熟練群:約70 %)、正確性(打突終了時から見た攻撃成功・失敗時の対戦相手の正防御開始時間の平均は、準熟練群:成功時:-37 ms・失敗時:-210 ms、熟練群:成功時:-26 ms・失敗時:-141 ms)に3章と同様の傾向が見られたが、時間効率の熟練差は消失していた(準熟練群:約5.1 s、熟練群:約4.2 s)。時間効率は3章と比較すると両群で時間減少が見られ、実践環境では厳しい時間制約の中での選択を強いられることを示していた。この時間制約と、技知識の活用頻度および正確性における熟練差は、3章と同様に、剣道における技知識を活用した予測による反応選択と、その知識活用を補助する検索構造の構築の重要性を強調するものであった。
■第5章
有効な技知識を獲得していないことが、準熟練群の反応選択における技知識の活用を妨げ、さらに、知識の検索構造の未構築を招いている可能性を考慮した。ここでは、3・4章の熟練群が獲得していた技知識を準熟練群(競技経験約13年)が獲得することを目的とした3週間の認知訓練によって反応選択が改善されるかどうかを検討した。結果では、統制・試合観察・知識獲得群の各6名の中で、知識獲得群は訓練後、試合についての質問紙調査において技知識を活用した反応選択の割合が上昇し(訓練前:約53 %、訓練後:約69 %)、効果的な反応選択の割合も増加していた(訓練前:約41 %、訓練後:約53 %)。試合の行動分析では、知識獲得群は獲得した技知識を活用したときに、攻撃成功の確率を高める対戦相手の打突終了前100 ms以後の正防御開始の割合が増加していた(訓練前:約32 %、訓練後:約42 %)。これらは、短期間であっても有効な技知識を獲得する訓練が、準熟練群の実践環境における反応選択を改善したことを示しており、また、その改善の方向性は4章までの本論文の主張と一致するものであった。
結果をまとめると、剣道における反応選択の熟練のためには、有効で多様性のある技知識を手短な手順で精緻化された構造によって獲得すること、実践環境では技知識を活用する予測による反応選択を習慣化すること、そして、技知識の繁用によって正確かつ迅速で安定した処理機能をもたらす知識の検索構造を構築することが重要であると結論づけられる。剣道の競技者と指導者は、獲得している技知識と反応選択の処理様相の現状を把握し、本論文の知見と比較して、これらの認知技能のための明確な学習・評価基準を確立すべきである。
付記:本論文作成に当たり、様々なご支援・ご指摘を下さいました諸先生方に感謝します。今後も理論と実践の橋渡しとなる研究を継続したいと考えている。